上地雄輔の大事な思い出。
〈中学生編〉
写真の整理をしながらフと思い浮かんだ俺の心に残るセリフ。
『』。
中学時代。
小学校では年上と仲良く普通に遊んでいても、中学に入ると小さい上下関係ができるお年頃。
でもその矛盾に俺は反発しまくった。
つーか面倒臭かった(笑)
だから先輩にも敬語なんて使った事がなかった。
でもなぜか許された。
上の人に本当に可愛いがってもらった♪
類は友を呼ぶ。
俺の周りの先輩も変わってたから可愛いがってくれた。
いや。
多分みんな諦めてただけだ。
(^_^;)
当時。小学校に引き続き本当にわんぱくだった。
人には言えないような悪さもいっぱいした。
本っ当に反省している。
そんな俺だけど、中3にはまた野球でキャプテンになった。
俺は努力するのが嫌いだった。
努力を人に見せるのはもっと嫌いだった。
勉強も授業中聞かないで家で勉強してたタイプ。
信じてもらえないかもしれないけど、中学までクラスでは絶対にトップ5に入っていた。
だから今地元のみんなは、最近俺がクイズ番組に出てるのを見るといつも驚いてる。
話がズレた。
野球。
俺は居残り練習もしなかった。
絶対に。
でも練習の時は本当に本当に頑張った。
練習前も早めに来てグラウンドの周りを多めに走ったり‥
してたつもり。
でも居残り練習は絶対にしなかった。
家に帰ってしてたから。
そーゆーのがまたカッコいいとも思ってた。
カリスマ的なキャプテンでいたかった。
当時流行ってた漫画〈スラムダンク〉の流川みたいになりたかった。
キャラでもねーのに。
「とにかく試合の俺を見ろい!」
「その背中について来い!」
そう思ってた。
中3の6月。
俺は不振にあえいでいた。
情けなかった。
居心地が悪かった。
そんな俺にチーム1の練習好き、
2番でサード☆シンジ☆
が練習の後に駆け寄って来て
シンジ
「俺、最近不振だから今日だけ練習付き合ってくれね?」
「お、おう。」
「しょうがねーなぁ(-_-)」
とばかりな顔をしてその日、居残り練習をした。
意外と居残り練習をしてる選手がいた。驚いた。
キャプテン。
チームの全てを知り、まとめなきゃいけない人間。
知らなかった。
そして俺はキャッチャー。
9人のプレーヤーの中で1人だけ逆を向いて、周りを冷静に見渡さないといけないポジション。
見渡せてなかった。
冷静にはなれなかった。
裸の王様ならぬ裸のキャプテン。
その日、居残り練習のシンジはスゴかった。
汗まみれ泥まみれ。
お互いにノックして、素振りて、その後に200メートルダッシュを何十本。
シンジは俺より足が遅い。
走ってる途中振り返るとゴリラみたいな顔をしたシンジが目をつぶって、歯を食いしばり、汗を飛ばしながら首と腕をブンブン不細工に振りながら俺を追ってくる。
俺は爆笑した。
笑った後、
笑いが止まった。
カッコ良かった。
本当にカッコ良かった。
居残り練習後の帰り。
シンジと、帰り道が一緒で俺達の居残り練習を手伝ってくれた☆巨漢サモハン☆と☆チビスケ岩崎☆の後輩2人。
シンジはジュースを飲みながら言った。
『別にカッコつけなくて良いんじゃね?お前はお前のままで絶対みんな付いて来るんだから。』
俺
「‥」
後輩2人がいて恥ずかしかったけど胸に響いた。
俺はシンジのケツを蹴りあげ一言。
「お前がカッコつけんなバカ!」
それから俺を先頭に4人はほぼ無言のまま帰った。
俺ゎよくバットに汗ビショのシャツを巻き付けて帰ってたから、はたから見たら桃太郎の鬼退治に見えたろう。
(^_^;)
でも
俺ゎその日から毎日居残り練習をした。
居残り練習する選手も増えまくった。
今まで俺と一緒に帰ってた反居残り練習組もやり始めた。
俺ゎさらに帰っても自主練習をした。
だから人の3倍は練習したと思う。
しばらくして
効果抜群。
打ちまくった。
ある日チームの本萱監督が俺に言った。(最後に「ヨっ」ていう口癖の監督)
「やっと自覚が出てきたな。『今何すれば良いか考えるしかないんだヨっ』『努力は人を裏切らないヨっ』」
大きく頷いた。
が。
自覚が出たなんて俺にはもったいなかった。
シンジと他の全てのメンバーに作られたキャプテンだ。
だからくすぐったかった。
その年、俺は首位打者になった。
チームは初の全国大会出場。
関東大会優勝。
オマケに俺は全日本選抜にも選ばれた。
プチ自慢('-^*)
高校も全国から38校も推薦がきた。
どこの高校に行こうか迷った。
本当に迷った。
結局、横浜高校に決めた。
横浜高校にしか行きたくなくなった。
あの男を見てから‥
(高校編に男が出てきます(^^;))
そして
一つだけみんなに言いたい。
指が痛ぇ(=_=;)。
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