上地雄輔の大事な思い出。
☆写真は野球のボール☆
〈小学生編〉
写真の整理をしながらフと思い浮かんだ俺の心に残る思い出とセリフ。
『』。
少年野球時代。
ある日、俺がミスをして試合に負けた。
試合終了後の整列。
俺は悔しくて涙が止まらなく、挨拶の時に帽子を取らなかった。
整列後、チームメイトとベンチに戻った時、当時の監督だった小甲監督に、初めて‥
殴られた。
ビックリした。
自分で言うのも何だけど、俺は本当に野球がウマかった。
チームも強かった。
キャプテンでエースで4番。
間違いなく俺は大黒柱。
野球で怒られた事なんてそれまでなかった。
たいがいの事は何でも許された。
今考えると調子に乗っていた。
チームプレーが大事な野球なのに‥。
でも
監督が殴ったのはミスしたからじゃなかった。
『挨拶だけはちゃんとしろ!!』
俺はその後、1人で相手ベンチに謝りに行った。
小甲監督から殴られたのはそれが最初で最後だった。
忘れもしない小3の2学期。
3つ上に「バッチ」と言う男(先輩)がいた。
朝の休み時間。バッチと何だか忘れたけど口論になり、いきなり殴られた。
友達&先輩に止められ、その場はブレイク。
俺は傷だらけ。
1時間目、2時間目。
俺はイライラしていた。
なぜか。
今でもイケイケなうちのじーちゃんはよく、
「いいか?男はケンカで負けたら勝つまで帰ってくんじゃねー!」
(「」は『』←じゃないよ)
と言ってたし、
当時いろいろスポーツをやってて、何かで負けた時、オトンに
「やられたらやりかえせ!」
と言われてたから。
そして何より俺は負けず嫌い。
(でも勝ちとか負けとか嫌い)
矛盾しててごめん。
そして20分休み。
俺は6年生の教室に行ってバッチに仕返しをしに行った。
言っても相手は6年生。
こっちは3年生。
奇襲をかけてて奮闘しても6-4‥。
いや7-3で負けていた。
でもバッチは泣いた。
3時間目が始まると6年の担任の先生と一緒にバッチが謝りに来た。
俺の担任の大森先生は
「じゃぁゆーすけも謝りなさい(^-^)」
俺は謝らなかった。
謝る意味が分からなかった。
本当に生意気な小僧だ。
でも本当に謝りたくなかった。
謝ったら何か大事な物をなくす気がした。
大森先生は
「謝るまで教室に入れないからね!」
と教室から俺を出した。
3時間目、休み時間、4時間目、給食の時間。
そーゆー時に限って俺の大好きな「あげパン」
親友のゆーじに「あげパン一個隠しとけ!」
と休み時間言っといたから大丈夫。
そして俺は粘りに粘った。
(今だったら問題かもね(^^;))
でも正直、幼い俺は心の中でこのまま一生ここにいるんじゃねーかと本当に思った。
でもここまで来たら!
(>_<)
昼休みも我慢した。
本当に面倒くせー生徒。
3年2組上地雄輔。
そして
5時間目が始まってすぐ、廊下の奥からうちのオトンが
「今度は何だ(^^;)?」
とばかりに頭をポリポリかいて笑いながら歩いて来た。
何度か親(もしくはおじいちゃん)を呼び出された事があったが、その日ばかりはマジで神様に見えた。
オトンはPTA会長をやっていたがこんな超問題児を息子に持って本当に大変だったろう。
オトンが目の前で立ち止まると、俺は泣きそうになった。
オトンは俺のホッペを優しく大きな手で包んだ。
「なんで謝りたくないんだ?」
俺は泣くのをこらえて必死に言った。
「パパがやったらやり返せって言ったから。」
オトンは少し間を置いて爆笑した。
俺は「?」と思い、今にもこぼれそうな涙がなぜかひいた。
そしてオトンは言った。
「それはパパが悪かった!でもいいか?
『これからは良い事されたら100倍にして返せ!その代わり嫌な事されたら100分の1にして返せ。』
分かった?」
俺
「う゛ん」
その後泣いたか泣いてないかは覚えてない。
覚えてるのは5時間目の途中、大森先生とバッチに謝り、握手したあと、バッチの肩に「パンパン」と肩を叩き、もっと強く「バンバン」と叩けば良かったと思った事。
そんな小学生だった。
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