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PL横浜vs遊助Na(野球好きへ)

2018

NHKのNarrationした番組のオンエアだったんだね(^^)











『だった。』




そー。まだ見てない😅あの試合自体もテレビで見てなかった。






横浜高校vs PL学園の試合



あの学年の1つ上にいたのが俺。



あの試合の時、実は卒業したばかりの俺は甲子園まで足を運び、アルプススタンドで当時の3年生達の近くに偉そうに騒いで応援してたんだ(^^)




でも、あれから見てない。



その前の年の、自分らが3年の時に負けた試合も、それから21年。一度もビデオでも見てない。



当時の野球部の同級生と会っても、誰もその負けた試合について聞いたり語ったり、話題にした事すらこの21年間。


少なくとも俺の前でたったの1度も無い。




なんか、、、自分の中で多分今でも心にモヤモヤが残ってんのかもしんない😅



俺が記憶にあるのは、その自分達がサヨナラ負けをした最後の夏の試合。

試合に負けた後に聞き覚えの無い相手の校歌が歌い終わり、僕らはアルプススタンドに選手全員で応援してくれた📣皆さんにお礼をしに行き、みんなの前でスタンドに向かって整列した。



その時、ベンチにいたり試合に出てた2年生の親御さん達が泣きながら、俺たち選手に向かって言ったんだ。


『ドンマイ‼️よくやった‼️ミスしたって下を向くな‼️まだ来年あるんだ‼️泣くんじゃない‼️このエラーをバネにやり直せばいいんだ‼️この悔しさを忘れるな‼️次に活かせ‼️頑張ったぞ‼️』



その試合で全てが終わった3年の俺は、その言葉をどう受け止めればいいのか、キャッチャーのくせに受け取り方が分からなかった。



誰も悪くないのは分かってた。



後輩達は素晴らしい選手がいたし、性格も可愛いやつら。その親のみなさんも当たり前に良い人達だった。



ただ、その言葉を聞いた時に、それを近くで聞いてるベンチに入れなかった、俺の仲間の同級生の3年の気持ちを考えたら、その瞬間に涙が止まんなくなっちゃった。



アメトークで流れた当時の俺が叫んだ映像。


収録の時は長くなるから説明できなかったけど。悔しかったワケじゃない、怒ってたワケでもない。野球しかなかった18の俺はその時の感情の整理がつかなかった。たった数分でいいから時間を戻してほしかった。



あれから俺ら同級生は高校野球を離れてバラバラんなったけど。



当時あいつらだって夢を見てた。

あいつらだってうまくすりゃ試合に出れた。

あいつらの中にだって甲子園を沸かせられる選手も、プロに行く素質があるやつも間違いなくいた。



それでもベンチ入りに選ばれた俺たちのために、今までのキツイ練習や、家族や地元の期待を飲み込んで、後輩達の道具を運んだり磨いたり、グラウンド整備したり、雑用やバッティングの練習ピッチャーだって肩を痛めながらしてきた。



そんなやつがスタンドにもいつもウジャウジャいた。




だから、松坂達が春夏連覇した時、俺はクソダサい先輩だから、正直100パーセントで喜べてなかったのかもしれない。



大騒ぎしてる後輩達やスタンド見て、そこに俺もいて



ホントに嬉しかったし誇らしかったし喜ばしかった。



だから羨ましさも無い。悔しさも無い。悲しさも無い。




ただ。




ぶっちゃけ、ほんの少し、たった1つ、心のド真ん中が





『虚しかった』






唯一俺たちの代だけ、春夏甲子園に行ってない。



甲子園と関係ない春の関東大会にも決勝で快勝して優勝。



優勝候補だ東の横綱だなんて騒がれて、たったの1度も無い。




やり残した忘れ物だらけで、なんも残せて無いし活躍できてもない、俺の最後の思い出は、そのどう受け止めていいか分からないまま終わった試合。




だから、プロ野球選手でも無い、野球史に残したわけでも無い、他にも凄い選手が毎年ゴロゴロいる中で、『横浜高校の』とか『キャッチャーやってた』なんて言われても今でも正直くすぐったくて、頑張ってもどのツラ下げていんだかリアクションにいまだに困る。


多分横高出身のプロ野球選手より言われてる。当時を知らない子供にも言われる。野球を全く知らないにも言われる。



その返事に困るのは、怪我の言い訳やタラレバ話をしたくないくせに『もっとやれたし、もっとできたのに!』が俺の心にまだあるからうまく笑えないんだと思う。




だから今までこの仕事を始めて20年そーいったお仕事はいーーーっぱい頂いでたけど偉そうなのは百も承知で、これでも申し訳なくて沢山遠ざけてもらってた。


もしやったとしても基本的に話をふられないとしない。してもどこか恥ずかしくて申し訳なくてその会話のシャッターを早めに閉めてた。



バカみたいにちっちぇープライドを持って、『俺はそれが嫌で関係ないこの世界に入って何かを表現するアーティストとして来たんだ』なんて強がって。



でも先日、このお話を番組側から今回は是非と言って頂き、マネージャーから一応報告をされた時、

ふと可愛がってる1つ下の横浜とPLの1つ下の仲間が頭に浮かんで来てマネージャーに


『ちょと待った‼️あいつらあれからもぉ20年かぁ。て事は俺もこの仕事始めて。…20年経ったし、、もぉそろそろこーゆーのもいいのかな。やらせて頂くか😁』



つって、こんな自分でも役に立てるのならとギリギリで偉そうなケツを自分で持ち上げてその台本を読んだ。




時間が解決してくれたワケじゃない。なんも解決されてないもん😅でもこの言葉じゃ表せない気持ちとまた付き合ってく声出しみたに思って。




そしてあいつらにエールを込めて来ようって収録日に家を出ました。


帰りに
『こんな俺が言うのもなんですけど、後輩の事を取り上げ続けて頂き、本当にありがとうございます。きっとインタビューを受けたやつらも見てる同級生もそう思ってくれてるやつがいると思います。』

久々に試合後みたいな、深い礼をした。






次の日にナレーションが俺とネットに出たのを見た横浜 PLの後輩達からお礼の連絡が来たから俺は


『どんな感情でお前らの紹介すりゃいーか分からなかったよ😌笑』



て返した。





ある選手がインタビュー言ってました。



『現役の時はあの試合の映像を見れなかったし、話をしたくもなかったです。現役を引退して監督になってやっと…』て。




その気持ち、スンゲー分かる。




てゆーか、俺、まだ現役バリバリです。



そりゃあ、みんなが知ってる情報や、ドラマ、映画、バラエティー、音楽を覚えてもらえてるのは、嬉しいし有り難いし、誇りに思わなきゃいけないのかもしれません。



でも、前を見て走ってる以上、昔の話をされるより今の話をされる方が100倍嬉しくて有り難くて誇らしい。



前の作品の事を言われるより、今出てる芝居や曲やレギュラー番組や今年のツアーの事を言われる方が、とんでもないエネルギーになる。



『あの頃凄かったんだよ』とか『好きだったんです』とか『見てました!前のあれ聞いてました!』なんて今の自分を笑顔でフラれた気分になりたくないから、多分これからもあの頃映像は見ないでしょう😅





見れる自分になりたくないのかもしれません。






だから、今回この作品のナレーションを入れながら、甲子園では見てたけど、テレビの映像としてちゃんと見てみて




いろんな感情が沸き起こり、上地雄輔をどこか殺して、情報を伝えなきゃいけないのに初めてナレーションの仕事で映像見ながら声出して


『ヤバイ。止めて下さい。』


て、一旦こみ上げた物をリセットする時間をもらいました。





あいつらが20年経って、あれから俺も20年経って、そのインタビューを俺が見てナレーションしてる。





嬉しさ、喜び、誇り、だけじゃないそれ以上のいろんな種類の感情と、思い出と、そしていろんな年代のいろんな立場や選手の気持ちが、


洗濯機みたいに俺の心をグルングルンにさせやがって思ったより大変なナレーションでございました😌





こんなダセー先輩ですが、この後輩らも、スポットライトを浴びてないで支えた人達も、涙した野球好きの人も




そして野球が





俺は大好きです。












明日はツアー練習したら、ドーム行って楽しむぞぃ😊







そぉ思える21年後があって良かったです^_^





改めて俺も遊助も










『あの..こっからが山場なんですケド。』


















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